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mezzosoprano 鳥木弥生blog

オペラ歌手(メゾソプラノ)鳥木弥生の日常、演奏会情報など。

節目。

歌手の頭の中 紀行 母ちゃん。
実家にて。

母が横たわるベッドを見下ろす姉と私。

明るすぎる読書灯に、眼鏡をかけた顔面を煌々と照らされ、目の前にしっかりと文庫本を構えている母。


私「嘘みたいだろ。寝てるんだぜ、それで...

姉「ぶっ...www」


そんなわけで。

様々なミッションを完了し、帰京しました。

今回の子連れ旅で感じることが多かったのが、「節目」について。


息子が七五三だったんですけど、



そういうことでもなく(笑)。

人生を例える方ではなく、実際通行する「道」での節目で。


子連れ母ちゃん旅の基本スタイルは、片方の手で子供の手を引き、反対の手でトローリーをゴロゴロ。

かつての「過酷ちゃん」と呼ばれた定番スタイルは、最近さすがに成り立たなくなりました。

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この、ムリムリな感じが数ヶ月前かな。

「過酷ちゃん」スタイルでも、手を引くスタイルでも、子連れ、荷物連れは、身の置き場所によっては通行の妨げになります。

「妨げになって皆様すみません」という気持ちも、もちろんあるんですが、どちらかというと、我を忘れて急いでいる人がいた場合にこちらの身が危ない、という意味で、非常に気をつけているつもり。

えー、私自身が「ギリギリ神様」が守護神なんじゃないかな、と半分本気で信じていたくらい、飛行機、列車、なんでも常にギリギリだったので、移動速度MAXの計算で動いてる人の気持ちも分かっちゃうんですよね......。

ちなみに数年前から「ギリギリ神様」にも見放されて本気で飛行機を逃したりし始めたため、態度を改めております。

本を構えないと眠れない、我がたらちねの母にも、

もっと心安らかに行きなさい(生きなさい?)

と言われましたし。

自宅から1分弱のバス停に行くにも、バスが来る3分前には家を出ることにしています。


そんなわけで、「節目」。

エスカレーターや階段を登り切ったところや、電車やバスに乗ったところ、または降りたところ。
曲がり角、交差点。etc.


けっこう、そういう場所で立ち止まりたくなる人って多いんですよね。



パリに住んでいるとき、キューバ系アメリカ人の友人と二人で常にその状態をして「パリ人アホだ」と言いたてていましたが......。

パリだけでなくイタリアでも、東京もだし、電車の扉付近に人が留まっちゃう率でいうと、七尾線とかも酷かった〜。

悪気があるわけではないんだと思いますが。
自動車教習所で「カーブは抜けたら加速」とは習うけど、それ以外では特に習わないですもんね。
エスカレーターとか電車についてはアナウンスがあるかもしれないけど、あんまり聞いてる人もいなさそうだし。


そんなことから、今度は逆に、その状態を人生の「道」の方に当てはめたらどうなるのかな、なんて考えてみたりして。


節目」を過ぎたところで留まる。

「デビュー」という節目を越えて、いつまでも「新進気鋭のメゾソプラノ」みたいな?

一度たりとも言われたことないですけど、私は。たぶん(笑)。


確かに、節目を越えると、ほっとして休みたいし、そこからどんな方向に進むか考えたりしたくなるし、次の節目への距離が一番長い瞬間だから、前途洋々感もあるし、景色を眺めて留まりたくなる気持ちも分からなくもない。


でもなあ。

私はやっぱり、節目を過ぎたら突っ走りたくなるかな。

「ご迷惑になるから」

なのか、

「そこにいると危ないから」

なのか、

はたまた、小学生が遊園地や動物園の門をくぐったとたんに、何だかわかんないけど一目散に何かに向かって駆け出すような気持ちなのか。

今度何かの節目を迎えたら検証してみたいと思います。