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mezzosoprano 鳥木弥生blog

オペラ歌手(メゾソプラノ)鳥木弥生の日常、演奏会情報など。

舞台でロメオとして生きること #日本で女性として生きること

Twitter 《オペラ》について。 イタリア語 メゾソプラノ 稽古日誌

9/10、9/11に新国立劇場で公演されるベッリーニ作曲、イタリア、ヴェローナに伝わるロミオとジュリエット伝説を基にしたストーリーのオペラ《カプレーティ家とモンテッキ家》(私のロメオ(ロミオ)役での出演は11日、日曜日14時です!)。

藤原歌劇団公演「カプレーティ家とモンテッキ家 I Capuleti e i Montecchi」2016年9月10日、11日 | JOF 公益財団法人日本オペラ振興会

 

先日、合唱団と初顔合わせがあり、男声合唱の迫力の声に驚愕。

このオペラ、舞台に登場する合唱は男性だけで、女声合唱は裏歌のみなのです。つまり舞台に登場する見た目も女性な人物はジュリエッタだけ。(今回の公演では女声合唱の方々が助演として舞台に現れたりする...かもしれませんが)。

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普段は稽古着としてロングスカートを着用する私も今回の稽古中の脚はこんな感じ!

でもしばしば膝当てを付け忘れ、すでに膝は痣だらけ...。

 

さて、この《カプレーティ家とモンテッキ家》というオペラ。

当主カペッリオ(ジュリエッタの父)に呼び出されたカプレーティ家の一族郎党が、敵のモンテッキ家と、残忍な当主(ロメオはカペッリオの息子を殺したのです...)、彼らはまだ名前しか知らないロメオへの復讐を誓うシーンから始まります。

ロメオ(私)は、顔を知られていないというのを良いことに、そこにモンテッキ家のいちメッセンジャーを装って登場するのですが、登場を裏で待っている時に聴こえる、合唱団が叫ぶ、

ロメーオ!

という声が本当に憎々しげで恐ろしくて、みんな本当に私のこと嫌いなんじゃないの??と、涙チョチョギレそうになりました(笑)。

 

しかし、恐れを知らぬものより、恐れを克服するものの方が真に強いのだと、

ナポレオンも言っていたし!

 

涙をこらえて割って入ってみれば、いつもの頼りになる面々。

 

この間は笑いながら花を持って突入してきたヤツが、今度は男装して剣を持って来たよ、みたいな。

 

ハバネラより、ロメオの登場のアリアの方が100倍「難しい」とは、ハバネラにはハバネラの難しさがあるので言いませんが、なんて言うのかな、イタリア語で言えばimpegnativa?faticosa?日本語で言うと、労力を要する?まあ...タイヘン、です。

 

タイヘンなんですが、なんだか、ものすごい解放感!

これは何故だ、と考えた時に最初に思いあたったのは昔から剣士、騎士への憧れが強かったこと。憧れ、ていうのは「もちろん」白馬の騎士にさらわれるほうではなく、騎士になるほう!

私の出生の秘密(全くそんな大袈裟ではない。笑)については、こちらに少し。

ロミオとジュリエットvsカプレーティ家とモンテッキ家 - mezzosoprano 鳥木弥生blog

 

でも、よくよく自分の胸のうちに聞いてみると、これは、幼い頃からの夢が叶った、とか、そういう積極的な喜びではなく、どちらかというと、マイナスがゼロになってホッとするような、やはり「解放感」と言う言葉がしっくりくるもの。

 

話は変わりますが(本当は変わってませんが)、私はまあまあフェミニストです。

母ちゃんメゾソプラノができるまで。 - mezzosoprano 鳥木弥生blog

とはいえ、↑こちらにも書きましたがミスコン見るの好きだし、お神輿には別に乗りたくないし、ピンク色も好きだし?、飲み物を注いだり料理を取り分けたりも自分の方が上手そうならやるし、マッチョ思想にしばられて男らしくしなければ!と思っている男性を可愛らしいもんだなーと思うこともあるし(笑)......いいかげんな、軟派なフェミニストです。

 

そして、男らしさとか、女らしさとか、女だからとか、男のくせにとか、そういう言葉、というか方便を使ったり、信じたりしている人を心底憐れに思っているのに、私自身もやはり女らしくしなければ!という考えに縛られていたのだなあ、と、最近痛感したのです。

そのきっかけが、男役を演じることだった、ということで、話が繋がります。

 

(↑開放感ではなく、解放感、でした...恥...。)


Twitterでちょうど話題になっているタグ #日本で女性として生きること を見つけ、様々な事象を拝見し、そうそう、と思ったり、驚いたり。

 

 

素敵なスピーチも発見。軟派フェミニストの私にも優しい...。

 

日本で」という部分に私なりの経験を付け加えると、また硬派、というか立派なフェミニストの方々には怒られてしまいそうなゲンキンな話なのかもしれませんが、例えば「イタリアで」だと、女性らしくしていることで得をする分量が、損をする分量より大幅に多く、しかも特に無理をしてらしくせず、「女性である」だけで得するので、イタリアで女性として生きることに特にプレッシャーを感じません。誤解を招かないよう付け加えると、得をもたらすのが必ずしも男性ということもなく。

しかし「日本で」は、まず得を与えるのはだいたい男性であるという前提で話をされていることが多く、現実的にも割とそうで、しかも、イタリアと同じくらいの得を享受するためには、小綺麗(まあ大綺麗でも。笑)にして、相手(男性)を立て、ちょっとおバカで(ふり、または実際に)、でも気は効いて、学歴も身長も高からず低からず......もっと色々あるかもですが、とにかくハードルが高い!!!

そしてそのハードルを越えるためのハウトゥーが惜しげも、いや、恥ずかしげもなく世に溢れている!!(笑)

愛され女子になる方法ってなんだ?

(息子なんてなーんも努力してないけど愛され子供です)。

とにかく「日本で女」はコスパが良くない。

イタリアが全面的に良いとは絶対に言いませんよ!イタリア人は女性を大切にするのと同じ自然さ(天然さ?)で色んな差別をしますからね。

 

さて。

 

オペラ《カプレーティ家とモンテッキ家》で私のお気に入りのフレーズのひとつが、ロメオとジュリエッタの二重唱の中でジュリエッタが歌う、

 

Io morrò se mio non sei 

 

という部分。

 

もしあなたが私のものでないなら、私は死んでしまう

 

と言っています。

稽古中、ジュリエッタの前に跪いてこの言葉を聴いたとき、またまた、実はけっこう日本的マッチョ思想に毒された私は、

「あれ?あきえちゃん(ジュリエッタ役、光岡暁恵さん)、歌詞間違えた?」

と、思ってしまったのです。

 

se tua non sono

 

私があなたのものでないなら

 

じゃないの??と。

 

あー、自分が憐れ!!

 

やはり実生活で100%の自分らしさを見つけて、発揮するのはなかなか難しいと思います...。

しかし、幸運にも私は、舞台の上だけでも自分らしさを発揮できる、メゾソプラノが演じるロメオ、という役を生きることができるわけです。

いつもは盛って盛って谷間をこれみよがしに披露する胸も、衣装さん特製ソフトさらし?で平にして。

秘すれば花なり、秘せずば花なるべからずとなり、て、

世阿弥も言っていたし!

 

せっかくなので、9月11日まで、この解放感を味わい尽くそうと思います。

まだ終わってませんが、またいつか歌いたいなあ、ロメオ。

あと、《皇帝ティトの慈悲》のセストとか、《オルフェオとエウリディーチェ》のオルフェオとか...。

ご依頼お待ちしてます...。

 

まあ、こんなにズボン好きみたいなこといいつつ、今PCで開いてて真剣に眺めてる?のはドレスの通販サイトですけどね。