mezzosoprano 鳥木弥生blog

オペラ歌手(メゾソプラノ)鳥木弥生の日常、演奏会情報など。

梅雨の読書。ダニエル・キイス《タッチ》

5月初めに図書館で借りて、(調子に乗って借り過ぎたせいで)期限内に読み切れず、再度借り直してやっと読み終わりました。



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ダニエル・キイスといえば、《アルジャーノンに花束を》が爆発的に読まれ、映画化や、ドラマ化、舞台化もされてましたよね。

映画の邦題が《まごころを君に》だったのは、《アルジャーノンに...》を使えない、何か「大人の事情」があったのでしょうか。



今調べてみたら映画化は3回もされていて、一番新しいのはフランス映画!

"Des Fleurs Pour Algernon"

て、タイトルを発音してみるだけでRが切なくて泣けそう!フランス語の力!?



み、観たい!
これは邦題、そのままですね。

中学から高校時代にかけて、周りでたいそう流行っていた気がするけど、新装丁版とかが出たタイミングだったのかな。
アルジャーノン以外のキイス作品も、クラスの誰かしらが持っていて貸してくれて、色々読んだ記憶があります。


と、いうか、ここにある主な著作、今読んだ「タッチ」以外は全部読んでる!

図書館で、なぜか聞いたこともないタイトルのダニエル・キイスの作品があるぞ、と、目についたのも不思議ではないかも。

内容にも驚きました。

様々な葛藤に苦しむ夫婦の姿を描いた作品なのですが、その「核」となる彼らへの苛みが「放射能汚染」です。

作中何度か、

「あの、日本で起こったようなことが私達の身にも......」

ということが書かれていて、あれ?この作品そんなに新しいの??と、思ってしまいましたが......。

タッチ (ダニエル・キイス文庫 15)

タッチ (ダニエル・キイス文庫 15)


単行本が2005年、文庫版が2010年に出ていますが、書かれたのはなんと1968年。
アルジャーノンの長編版の2年後。
何故、あんなにもヒットしていた作家の作品なのに、30年以上未邦訳!?
2003年の改訂をきっかけに邦訳されたそうです。

内容が内容だけに映画の邦題どころではない深い「大人の事情」を感じずにはいられませんけれども......。

つまり、登場人物の言う「日本で起こったようなこと」というのは広島、長崎の原爆のことでした。


巻末に、編集部より、

この物語は原書初版刊行時(1968年)の時代背景にもとづいて執筆されています。放射能汚染の拡がり方や放射線障害の描写につき、最新の科学、医学常識と必ずしも合致しない箇所がありますが、本書の歴史的価値およびあらゆる差別、社会の不寛容に強く反対する著者の立場を考慮した上、原文に忠実な翻訳を心がけました。ご了承ください。

とあります。

一読したときは、
「そうだよねー、さすがうまいことフォローするわ」
と、思ってしまいましたが、よく考えると気になる。

確かに今の、放射性物質がごく身近なものとなってしまった私達が読むと、除染方法とか、かなりファンタジー。

そして、物語として読んでいると、一番心が痛むのは「被害者」であるはずの夫婦が、その後、放射性物質を撒き散らした「加害者」であるように社会から糾弾される部分ではあります。


が、キイスが執筆当時も「誤解」は「誤解」、「ごまかし」は「ごまかし」として書いている部分もあるはず。

科学が遅れていたから(無知だから)こう書いてしまった、ばかりではなく。


それに、「改訂版  作者あとがき」として記してあるのは、
放射能汚染に対する差別、不寛容に反対する」
内容ではなく、

世界中の政府や産業界は、産業施設からの放射能漏れや放射能事故による汚染を、未然に防ぐために必要な措置をとっていない。彼らにとっては放射能事故を隠蔽してしまうほうが、何も手を打っていなかった責任を問う世間の批判にさらされるより政治的にも経済的にも好都合なのだ。


という産業界、政府、企業や医療施設への「通告」です。


「科学、医療常識と合致しない」
「差別、社会の不寛容に強く反対す著者」??
編集部、ミスリードではないですか?


そんなに長い作品ではありませんが、作者あとがきから付録(「核」に関する様々な事件のリスト)まで、恐ろしいけれども、読み応えがありすぎるほどの一冊でした。