誰にそう教育されたのか忘れましたが、私は基本的には他の人がどう歌っているのかを参考にしません。
いわゆる、というかこれがどれくらい世間に浸透してる言葉なのか知りませんが、「レコ勉(他人のレコードを聴いてお勉強)」っていうものを、抵抗なくする人もいると思うんですが、私にはものすごく抵抗があります。
しかし、そうも言っていられなくなったのは、私の生身の”先生たち”が身近ではなくなってしまったから。
私には《オペラ座の怪人》の「音楽の天使」ならぬ、「音楽の母」と、「音楽の祖母」がいます。
「母」エレーナ・オブラスツォワとの出会いは大学時代。彼女の住むロシアをはじめ、色んな国を連れ回してくれ、歌わせてくれて、私がオペラ歌手を本気で目指すきっかけになりました。
彼女はたまに日本に来てはくれるのですが、私が自由に飛び回っていた時に比べると、めったに会えないという状況。ロシアのこっち側だったら実家の能登から近いのにな(笑)。
そして「母」が取り持ってくれ「祖母」フェドーラ・バルビエーリとは20代半ばの頃、イタリアで出会いました。
「祖母」は残念ながら出会って2年と少しで亡くなってしまいました。勉強のためにいただいた奨学金での渡伊で、レッスン三昧の日々だったので、今思い返してあれはたったの二年間の出来事だったのか!と驚愕の思いです。
彼女が作ってくれる”特別なツナ”のパスタ、美味しかったなあ。
「天使のような女性は天国に行ける。では悪魔のような女性はどこに行ける?《どこへでも!》」というイタリアの格言?ジョーク?があります。
口が悪すぎて私以外の生徒が居つかなかった「祖母」フェドーラは、もしかしたら生きていたときより身近にいたりするのかもしれません。しかし残念ながら霊の声を聴いたりする才能はないので、一度あの大声が何dbだったのか測ってみたいと思っていたのですが、それももう叶いません。
そこで、彼女達の教えを忘れないために、思い出すために、彼女達の歌っているCDを聴きます。DVDもたまに観ます。
莫大な量の、メゾソプラノのレパートリーを網羅したレッスンの録音もあるので、もちろんそれらを聴くこともあります。が、彼女達がその時代時代の名歌手、名指揮者と真剣勝負で挑んでいる記録音源は、より効率良く記憶を呼び覚ましてくれる気がします。
彼女達が話してくれた共演者エピソードも一緒に思い出すからかな...。
今聴いているのはやはり本番が近い《イル・トロヴァトーレ》で、「母」オブラスツォワがアズチェーナ役を歌っている録音は私の知る限りこれだけ。
一説によれば彼女は見た目と高音がソプラノを凌ぐほど美しすぎることや、低音の出し方もイタリアの伝統的な発声ではなかったため、汚れ役系や、いかにもイタリアのメゾソプラノ、というイメージの役柄ではあまり受け入れられなかったとか。
でもこの声の輝かしさ、たまりません。
「母」から聞いたエピソードでテノール○○なイメージがあったボニゾッリの意外に知的な歌唱も良いし、カラヤン、ベルリンフィルの演奏もちょっと狙いすぎかもしれませんが、印象的です。合唱は何語で歌ってるのか怪しいです(笑)。
一方「祖母」バルビエーリ。二十歳の時、他の役でデビューした翌日に病気で降板した歌手の代役でこの「イル・トロヴァトーレ」のアズチェーナ役を歌い大成功、というスタート。当り役としてマリア・カラスとの共演版など、たくさんの録音が残っています。
この左側の方ですが、30代半ばですでにこのアズチェーナぶり。
と、これ。
私のオペラデビューだったフィレンツェでの「ジャンニ・スキッキ」でタイトルロールを歌った(というより演じた)ローランド・パネライ共演。ロベルト・ベニーニ並みに面白いパネライがクールなルーナ伯爵、というのに興味があって入手しました。
バルビエーリとパネライは同期の間柄で、私は、バルビエーリにはプライベートで主に歌を、パネライには研修所で主に演技を教わりました。
帰りたいなあ、フィレンツェ。今、夫は仕事で行ってるんですけどね。代わりたい。
そんなわけで、実際その人の声がどんな風に空間を、劇場を震わすか、その人がどんなテクニックで、またどんな思いでその役を歌っているかを知った上でレコーディングされた声を聴くのは、知らずに聴くのとは違うはず。
という”言い訳”で「レコ勉」に励んでおります。
母ちゃん、母を歌います。G.Verdi"Il Trovatore" 金沢と銀座 - mezzosoprano 鳥木弥生blog