mezzosoprano 鳥木弥生blog

オペラ歌手(メゾソプラノ)鳥木弥生の日常、演奏会情報など。

金沢の名物さん。理解と尊重。

コンクールの審査で石川県に帰って来ました。

昨日、金沢から乗った七尾線で正面に座った大学生くらいの女性2人組のおしゃべりが標準語風だったので、旅行かな?と思っていたら、電車が能登方面に進むにつれ、彼女たちの言葉もどんどん能登弁に!

電車の行き先「七尾」も、最初は「菜々緒」の方と同じ平坦で都会的な(笑)イントネーションだったのですが、七尾に着く頃にはすっかりこちら風の真ん中が高くなる、「おーまーえーは⤴︎ア⤵︎ホ⤴︎か⤵︎」の、「ア⤵︎ホ⤴︎か⤵︎」の部分と同じ「な⤵︎な⤴︎お⤵︎」というイントネーションに。
面白かった。


そして今日は七尾線を逆に辿り、金沢へ。
好天に恵まれ、息子は実家に置いてきたし、楽しい一人旅気分。
車窓には......まあ、特に絵にならない雑木林的なやつが続いてますが、これが地元!




さて。いきなり悲しい話なんです。
お世話になっていた、金沢、石川県の音楽振興に長年尽力されていた方が、今月始めに亡くなってしまいました。

私が指揮者の岩城宏之氏(オーケストラアンサンブル金沢の永久名誉音楽監督で、2006年に亡くなりました)のオーディションを受け、日本で演奏活動を始めてすぐの頃、金沢で50年以上も続いている年末のベートーヴェン「第九」と「荘厳ミサ」のソリストとして呼んで下さったのがその方で、その後も私が可能な時は毎年、この年末公演でお世話になっていました。

もう、13、4年?になるのかな?

最近は、今日本選があった音楽コンクールの審査員も務めさせていただく機会もあり、毎年11月から12月にかけて、よーく見る顔......少し変ですが、私の中では、大きな風物詩のような方でした。
もちろん私がお会いしない間も、一年中留まることなく大活躍されていたんですけど。

たいへんに、なんというか、ワンマンで、濃くて、音楽界の「金沢名物」、成し遂げた偉業は数知れず......。


享年81歳、ということは、初めてお会いした時もすでに60代後半で、立場的にも年齢的にもかなりの「偉い人」だったはずなんですが、全く偉そうなところはなく、まだ駆け出しの私や、同じような年代の他の歌手たちとも、「仲間」というか、どこか「ライバル」のように、対等にお付き合いしてくれる、面白い方でした。

自分も「音楽家」である、ていう気持ちが強かったのかなあ?

......かなあ?
なんですよね。

長年のお付き合いで、気さくな方で、とても良くしてもいただいたんですが、こんな人だったの「かなあ?」としか思えない、私には全くもって「理解不能」な方でもありました。


でも、私や、私よりも更に皆勤賞で金沢の年末公演にたずさわっているバリトン清水宏樹さんのことを、とても信頼してくれていたし(たぶん)、私たちも信頼に応えたかったし、精一杯尊重し合う仲だったと思います。


音楽でも、家族や友人関係でも、「理解し合う」ことが第一と思う人も多いかもしれませんが、私は、たとえ全然理解できてなくても、尊重し合えていたら、それが最良だなあ、と思ったりしております。

一応、女子!?として、
「分かる分かる〜」
の楽しさも知ってるけど。

相互理解を求めるあまり、理解できない相手を尊重できなくなることだってあるし。
だったら無理して理解しようとせず、ただ尊重したらいい。

そんなスタンスを私に教えてくれたのもその方だったのかも!?
おかげでイタリア人との付き合いも楽でした(笑)。


ずいぶん歳上で、本当は私がお世話になりっぱなしだったのに、いつも仲間のように接して下さった「金沢名物」さん。

14年一緒に音楽活動させていただいて、一度たりとも心が通い合った、理解し合えたと思ったことはありませんが......。
きっと何か通じるものがあって長年の、大切なご縁になったのだと思います。

まだ、もうお会いできないのだということ、実感できません。
今日もフラリと審査員室に顔を出されるような気が何度もしましたが、ついに現れず。当たり前ですが。


彼が指揮する「荘厳ミサ」、スリリングだったなあ......。

彼とうちの息子の名前が似てるからか?妊娠中にもこき使った負い目か(笑)?息子のこと、いつも気にしてくれたし。

思い出は尽きません。
ご冥福を祈っています。